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政治経済と産業 第一弾→避妊具関連産業(コンドーム)

 

  その国特有の政治経済制度や文化的価値観が、特有の産業構造を生み出すということで、今日は日本国内における政治経済的な環境要因の結果、独特の発展を遂げている産業についてまとめながら勉強していきたい。 第一弾はコンドーム!(二、三と続くかは不明) 

 

概要

 1.軍需産業としての発達

 2.ピル解禁まで(~1999)、避妊具としての市場ほぼ独占

 3.東京オリンピックを機会に、更なる飛躍!?

 

 他国との比較において、日本国内における避妊手段として最も主流なのはコンドームの使用で、例えばピルの使用が主流な欧米(英を除く)とは対照的である。なぜ、日本国内においてコンドームの使用がメジャーな避妊法としてあり続けてきたのか。なぜピルなどの代替品の脅威等に対し、ここまで抗し得たのか。そこには中絶や避妊を巡る、政治経済的な理由が考えられる。

 

1.

 かつて、国力の増強を目指した日本政府は「産めよ増やせよ」というスローガンのもと、避妊や中絶に対し規制を加えた一方で、大日本帝国陸軍慰安所の利用に際しては、感染症予防を主な目的にコンドームの使用を奨励した。こういった経緯で、国内におけるコンドーム産業(1934年には日本ゴム工業(現オカモト)、アサヒ・ラテックス科学研究所(現相模ゴム)がコンドームを供給、41年より統制下で戦地向けに製造)は軍需製品として発展した。当時の製品には「突撃一番」「鉄兜」などがあった。

 

2.

 そして戦後、日本では1948年に実質的な中絶の合法化が世界に先駆けて行われた。そのころ日本は中絶率が世界でも上位に入る程に多く(55年でピーク約50%)、それが中絶に関わる医療関係者にとっての利権にもなった。その中で、欧米先進国では1960年ごろから普及が進んだピルの許認可に関する論争が国内で巻き起こった。生殖に関する政治的な見解は、世界各国でも社会・文化・倫理的価値観を孕む(フェミニズム運動・宗教等)ので、今でも大きな議論の一つではあるが、日本では保守的な政治家や中絶に携わる医療関係者などの反対により、ピルの許認可は欧米に比べてほぼ40年遅れた。(1999年に認可) 

 そんなこんなでピルの認可に時間がかかっている間、コンドームメーカーはほぼほぼ戦後日本の経済成長分を、避妊具としてがっちり押さえた。ピルが認可された今でも、コンドームは圧倒的な強さを見せているが、これは一説によると80年代にエイズに関する危機意識が国際的に高まり、コンドームが唯一の予防法であることが認識された結果、99年のピル解禁後もコンドームへの強い信頼性が保たれているかららしい。

 

3.

  このような、日本特有の環境要因の下、国内では確固たる避妊具としての地位を確立したコンドームメーカー。しかも、その技術もかなり高水準(薄型)で、近年日本を訪れる観光客にも非常に根強い人気を誇るらしい。特に、中国人観光客にとっての爆買い対象として話題にもなっている。また、コンドームは性感染予防という観点では、現存する避妊具の中で唯一効果を期待されている。少子化、晩婚化などで国内市場が縮小する昨今、積極的な海外展開が望まれるが、そんな中2020年の東京オリンピックを機に(選手村では例年約10万個が選手たちに配布される)世界に広く認知される可能性を持つ日本のコンドームには、更なる追い風が吹いている。