僕が後で読み返したいブログ

現役大学生が運営する自分本位のブログ 暴論あり

とりあえず「コミュ力」が大きな価値を生むという現状の確認を

今回ちょっとごちゃごちゃしている気がするので、アウトライン

1.ブログの発見!

 (超お勧めだけど、読まなくても良いように全体を構成する努力はした)

2.「社会関係資本」とパットナムの主張超ざっくり

3.雑感 コミュ力大事かー

 

1.

 ちょうど授業の関係で「社会関係資本」(後で説明)に関する論文(日本語訳だと「孤独なボウリング」パットナム)を読みながら、なんとなくこの内容が「コミュ障」とか「ぼっち」とかいう言葉が頻繁に使われている現代の状況と何かしらの関係があるような気がしてならなかった。「コミュ力」とかいう言葉はいつから頻繁に使われているのだろうか。おそらく「コミュ障」とか「ぼっち」に似たような性質を持つ「個人」は昔にもいただろうけど、いつからそれが意識され言葉にされるようになったのだろう。日本では、なぜ、どういった社会背景でそれが強調されるようになったのだろう。

と、思っていたら、まさにそれ を説明するワンダホーな記事が見つかった!

なぜ若者もコミュニケーション能力を重視するのか、まとめ - コウモリの世界の図解

 ※記事を読む前に続きをとりあえず読んだ方が良いかもしれない。

2.

 上の記事は日本社会に関する内容だけど、最初に言ったパットナムの論文では米国社会についての色々な事例を取り上げた内容。

厳密な定義は書かないけれど社会関係資本ソーシャルキャピタル)はざっくり言って

「人々が持つ信頼関係や人間関係社会的ネットワーク)のこと」ソーシャル・キャピタル - Wikipedia

で、これが幸福な暮らし(強調)と民主主義にとって重要な役割を担っているんだけれど、社会の変化を通じて米国ではそれが希薄化してきているというのがパットナムが言わんとすること。

 

翻訳面倒だし、具体的な例は他の人様の書評で勘弁。(具体的に知りたい人向け)

・この本ではさまざまな統計が集められ、社会関係の希薄化がデータによって示されている。それはたとえば、大統領選挙投票率の推移、選挙活動への市民参加、街や学校問題の公的集会への出席度、何らかの請願運動への署名、全国規模の組織の会員数、PTAの推移、教会への所属数と出席の傾向、労働組合への所属率、専門職の会員組織への参加率といった公的なものから、友人宅訪問、一緒に食事、スポーツ・イベントへの参加、社交クラブへの参加、トランプその他の余暇活動といった私的なものにまで渡っていて、そのどれもに、参加率の低下が見られることが明らかにされている。

ロバート・D・パットナム『孤独なボウリング』柏書房 (book review)

 

 

3.

 上で紹介したブログの記事の中でも書かれているけれど、

日本でも伝統的な社会関係の希薄化の結果として、個人が自ら「関係」を獲得/維持する能力の有無が「幸せな暮らし」を支える重要な役割を担うようになっている気がする。であれば、その作用として「コミュ障」「ぼっち」みたいな言葉が頻繁に意識され、用いられるようになったのも、やっぱり腑に落ちるような気がする。個人で楽しめるポータブルな娯楽(携帯、タブレット等)が次々に出現している現状では、さらにこのような傾向が強まっていくのかな。これは無縁社会で「孤独死」が問題視されることにも関係があるのかな。とか色々思うところはある。

 「社会的にもともと備わっていた伝統的なつながりや絆のようなものが崩れる。」という流れは、とりあえずは個人が制御できる流れではない。 リアルであれネット上(希薄化を回復するツールとしてSNSが期待されている面もあったり、なかったり。。。)であれ、自ら「関係」を獲得/維持していくということが今は重要で、そのためにはそういう意味での「コミュ力」は相対的に大きな価値を生むし、個人や小さな単位が何とか工夫できる範囲はとりあえずそこにしかない。そういう現状はとりあえず真摯に受け止めて、出来ることを頑張って、ポップに生きていこうとおもう。