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政治的な視点からみた筋トレの重要性

 政治経済を勉強していると、意外と世の中いいかげんに回っているし不完全な物が思っていたより多いという事に気付く。そんな時、筋トレが大事だ、といつも思う。

 そもそも「意見」はあくまでも各人の感覚を通して得た情報によって形成されたものに過ぎないし、各人の感覚は異なり得るので、誰の目にも明らかな正解のようなものはない。それぞれの「私にはこう見える」があるだけに過ぎない(なんかで聞いたことがある)はずなんだけれども、現状では、権力によって規定されたスタンダードを前提に生きることを強いられる。例えばこういう世界では、意見にどれだけパワーを持たせることが出来るか、が重要になる。正しいから影響力があるのではなく、影響力があるから正しいとされる。ヤンキーの前では、正論もワンパンでぶっ潰されるのと大して変わらない。例えば戸籍制度が日本の人口減少の元凶であり、それを廃止することが政策的には正しいと主張する人がいても、時の政権の支持母体がそれを良しとしなければ、そうは問屋が卸さない。頭のいい人たちが提案するように、合理的に人道的に理想通りの完全の形で、世の中が動くとは限らなかったりする。ジャイアンが腕っ節で来る。不完全で、時に理不尽な世界でもあると思う。

 筋トレにはもっと広い意味があって、自分の自由を出来る限り守るべくソフト面ハード面ともに防衛手段を獲得するということでもある。(Defined by 俺)

この定義に従えば、こういった社会の構造的要因が生み出す脅威を避けるためには、筋トレは非常に重要だという結論が得られると思う。