僕が後で読み返したいブログ

現役大学生が運営する自分本位のブログ 暴論あり

Ebility ~蛭子能収という合理的経済人~

 

 結論:蛭子さん、優しいおじいさんだと思ってたら合理的なサイコパスだった。

 

 今更なのかもしれないけれど、蛭子能収さんってとてつもないおじいさんだと思った。今までに読んだWikipediaの記事で、蛭子さんのはトップに来るくらい面白かったし、ホント読みながら笑いっぱなしだった。 蛭子能収 - Wikipedia あまりに面白かったので、著書も買いました。(下で紹介)

 責任とか生活のための糧みたいなところはしっかり踏まえながら、ギャンブルをしたり、親戚の葬式で笑ったり、上司や息子の友達を漫画の中で虐殺したり、本気で褒めるつもりで「オッパイ大きいね」って小島瑠璃子ちゃんに言ったり、本当にクズ(褒め言葉!)な人なんだと思う。最初の奥さんと結婚した理由が「セックスがしたかったから。」らしいし、風俗行ったり浮気したりしない理由が「家でタダで出来るから」らしい。

 自分にとってやりたいことや幸せなことを分かっていて、それを阻害する余計な感情や人間関係からなるべく自由に振舞える人ってすごい。効用(喜び)を最大化するべく利己的に行動するおじいさん。友達にも蛭子さんっぽいサイコパスな人、3~4人くらいいる気がするけど本当にすごいですわ。。。

 

 ↓に関連する動画とか著書とか貼っておいた。面白いです

 

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地味にやるのも結局は楽しいし、やるしかない気も。

 結論:結局何かを「積み上げ」ていくことしか道は無いような気がする。

 

 最近、アフィリエイトとかネットビジネス系のアカウントにめちゃくちゃフォローされる。こういう「儲かる方法を教える」という儲け方をしてるだけで、決してその教えてる「儲かる方法」では儲かってない人たちのツイート内容を見ていると、本当に引っかかる人いんのか?と思ってしまうけれど、居るんだろうなぁ。現にアフィリエイトとかで儲かる人はいて、そういう意味では嘘をついてるわけじゃないと思うんだけど。

 日本にいたとき、そういう「情報商材」を売っているような人と、偶然知り合ったことが前にあって、一緒に飲もうって自分から誘って飲んだこともあるんだけど、一発逆転を狙って一生懸命チャンスをものにしようみたいな意識でマジであるんだよね。そういう人が、一発逆転を狙わせるように他人を煽りまくって万札の写真を載せたり意識の高い抽象的な言葉をツイートしてるのを見るのは本当何とも言えない感じ。結局、こっちが「情報商材売ってる人って、~~なの?」みたいに、あれだけしっかり知ってる風に振舞っても尚、最後は、尊敬してる人に会ってほしいという事で他に二人引き連れて、契約書に危うくサインをさせられそうになって関係が終わったけど。何故か全員元野球部だったな。笑 

 資本主義というルールでは、知識・経験習得という積み上げや蓄積に対して「明日再び価値を提供するために必要なもの」という形で支払われる対価が「報酬」であり「儲け」であるらしい。また、相対的な「差」から利益を稼ぐシステムということも出来るらしく、他人より「高い」かもしくは「違う、独自」の積み上げがより評価される。それを逸脱して楽に生きようとしても、あまり継続的じゃないんだろうし結局は多少無茶しなきゃいけなくなるんだろうなぁ。

 地道に淡々と「積み上げ」ていきたいな。

 

 

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「ブレない」というのも、時々危ない気がする

 結論: 考えをコロコロ変えるおっちゃんになりたい 

 

 ブレない、一貫した考え方や生き方って凄くカッコいいことだと思う。でも、ブレないことが、自分を覆すような何かにそもそも出会ったことが無くて、それで変わらず今日まで続いてる(最初から立てた仮説が一発目で当たり)か、自分を覆すような何かを無視してきただけかで、それは全く違った性質のものだと思う。

 

 確証バイアス という言葉がある。

 確証バイアス(かくしょうバイアス、: Confirmation bias)とは、認知心理学社会心理学における用語で、仮説信念検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと(確証バイアス - Wikipedia

 『自分が好きなもの・信じていること・慣れ親しんでいる価値観(世界観)』などが固定観念としての確証バイアスを生み出し、その結果、見たいものだけを見て聞きたいものだけを聞くという状況を作り出してしまう。

誰もが持っている危険な傾向、「確証バイアス」とは? - NAVER まとめ

  

 信じたいと思うもの、これまで信じてきたもの、それを支える証拠ばかりを探してしまいそれ以外には耳を塞ぎたくなることがある。特に自分が中二病で謎の信念を持っていた時は誰のアドバイスも全く耳に入らない「ブレない奴」だったのを覚えている。出来る限り周囲のアドバイスに頼りたいと思っている今でさえ、アドバイスによって受け入れやすさに多少差が出てるかもしれない。どこかで今ある考えやあり方を正当化したい自分がいるのかな。耳の痛いお話も素直に受け取れるようにならないとなぁと思う。

 

 メチャメチャ雑に紹介すると、人間の判断力は初めからあてにならない、間違える、ということを前提として、考えをバンバン変えまくるジョージソロスっていうおっちゃんがいるんだけど、そういう柔軟性を持てるようになりたいと思う。「間違わない事」にこだわって、自分のセオリーとか仮説とかに固執したまま時間が過ぎていくのも切ない気がするのでこういうおっちゃんは本当見習っていきたい。

 

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通貨危機やっちゃうおっちゃん 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モントリオールの「空気」のようなエロさを真面目なトーンで語る  ~普通の観光スポット紹介ではなく~

 

 結論: Joie de vivre ! 下ネタ無理な人は読まないほうが良いかも。

 

 国内国外問わず、旅行の時は基本的にエロい面というかオモテだけではなくてウラも見たいみたいな、そういう気持ちがあるので、そういう面を積極的に見るようにしてる。これは単純に調子に乗ってるような面もあるんだとおもう。そういう面もあるんだけど、文化がどこまで許しそして求めるか、経済がどう満たすか、政治がどう縛るかの一端をそこに見ているというクソな理屈を振り回すことで言い訳することにしています。

 今現在モントリオールに旅行中なんだけれど、モントリオールは一応世界的にポルノでも有名な街らしい。世界的に有名なあのサイトもココがハブ!日本へハネムーンで遊びに来てたカナダの方と初日に飲んだ時に、一緒にいた友達もそういう会社に勤めてるみたいで、昨日からルーマニアに出張なさってるそうだし、そういうことだ。

 なんというか、普通に観光地というかオモテを見たし、さてウラ側も見たいなーと思ったけれど、俗にそういうものが密集した場所みたいなのが無くて、普通にハンバーガーショップの隣にストリップクラブがあったり、街の中心地にドカンとあったりとか、全然「ウラ」みたいな怪しい感じでもなんでもなかった。ヘンタイの国、日本のように東京のなんとか原とか、大阪の飛なんとかかんとかとか、そういう離れに密集した感じとは対照的だった。

 なんかそういうオモチャとかを売ってるお店「S○X SHOP」なるものもドカンとあって、訳わからんふりして入店したんだけれど、店員が全員女性(3店舗見た)でしかも美しい、マジで。「どうした?」って聞かれたんで「今旅行中でして、面白いものを探してるんですがー」と言ったら、なんかシレっとゴムとかおもちゃの説明とかしだす。しかも、女性がベビーカー押しながら子供連れて入店してて「おあっハッハッwww?!!?」ってなった。Shungaとかいう商品について詳しく聞いたら「この商品は日本の春画にインスパイアされて出来たモントリオール発の商品で~」とか言ってて、おぉぉ?wってなったし、客が来てるのに色々いかがわしいものが陳列されてる隅で家族で飯食ってるし、結構ナゾだった。

 繰り返しになるけれど、エロを文化がどこまで許しそして求め、経済が如何に満たし、政治が如何に縛るか、というのは本当に国や地域によって違うんだなぁと思いました。さすが市のスローガンが Joie de vivre (生きる喜び)なだけある。留学先ここアリでしたわー。

この贅沢な時間を一生楽しめたらいいのだけれど。

 

 結論: あぁぁ。。。(感傷?)

 

 何というか、レポートでも絵でもブログでもなんでもいいのだけれど、例えば何かを作る過程では、ぶわーってアイデアを書いたり図を描いたりした末に、最終的には重要なものだけを抽出する。この抽出した部分が結局のところ重要な伝えたいことで、書き散らかしたアイデアとかは最終的には「ムダ」として処理されることになる。でも、このプロセスを抜きにしたら広がらなかったアイデアもあるかもしれないわけで、結局直接的に結果に反映されなかったとしても、そこに意味はあるのかもしれない。

 

 学生でいられる時間というのは、ある種こういうムダ(ムダにするつもりはないけど、後で振り返ってみればそうなるもののこと)を自由に書き出す作業のようにも思える。誰かを守る、誰かのために働く、とかそういう責任みたいなものとはある種無縁な状態で、コロコロ意見や行動を変えて色々なことを経験したところで、まぁほぼ誰にも怒られない。贅沢な時間だと思う。

 

 それでもいつかは時間切れが来てしまうわけで、自動的に生活が出来る状況であれば必要は無いかもしれないけど、結局は何らかの形で「生産者」として振舞う日がやってくる。自由にアイデアを書き出す作業を中断して、とりあえず「完成品」の提出に向けて動き始めなければならない日がやってくる。まぁ、意図的に期日を伸ばすこと(留年・休学)も引き返すこと(入学し直し)も出来るだろうけれど。

 

 悲しい気もするけれど、なんか悲しいというのとも違う気がする。「あぁぁ」としか言いようがない。「あぁぁ」としか。

 

 

 

 

 

 

 

 

Degawization  出川哲朗化 ~特に留学、海外旅行予定者必読~

 

 ここまでの留学生活で特に実感したのは、Degawization(出川哲朗化)の威力

 

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 Degawization (デガワイゼーション)名詞 :

 ゴール、目的を達成するためにはバカになっても攻めまくる、「出川哲朗」状態になること

 

       degawize : 出川する

    to be degawized:出川になる(させられる)

 

 例文:Ms.Green : Oh!You are so degawized now!

                            わー!おま、めっちゃ出川やん!

                John  : Yea. Didn't I tell you I was under degawization?

               そうだね。俺、出川化してるとこだって言わなかったっけ? 

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 以上の定義を踏まえて、この動画を見ていただきたい。

 ぜひ。早送りしてほんの10秒だけでもいい。お願いだ。

 出川師匠が、大切なことを教えてくれるんだ。

 英語の上手さよりも、知性よりも、もっと重要なことを。

 

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 確かに出川師匠はロンドンピーポーに白い目で見られた瞬間はあったかもしれないし、迷惑をかけてしまった場面もあったかもしれない。でも、ジャパンのルールの中で培った「失礼」だとか、「迷惑」だとかいう感覚(思い込み)を勝手に外国にまで持って行って、必要以上に心配するよりは良いのかもしれない。

 そして、これは「留学」とか「海外旅行」という場面でなくても、常に活きるような汎用性の高い教訓なのかもしれない。勝手な思い込みで勝手に恥ずかしくなってしまうことがあったり、常識や思い込みに支えられた恥に勝手に悩まされたりということがあるかもしれない。こういうのを100%解き放って、ゴールを真っすぐ目指そうじゃないか!

 そうすれば、あなたも本当の出川師匠!か犯罪者になれるだろう。

 

 ※Degawizationにおいて発生した一切の事故や怪我、犯罪行為などに関して、

 当ブログ主は責任を負いかねますことをあらかじめご了承ください。

  

 ちなみに、Degawizationは俺の造語なので(ちゃんとググりました)、みなさん使っていいですよ。。。いつか留学経験者として留学に関するプレゼンをする日が来たら、このDegawizationを提唱しようと思うんだ俺は。

 

 

 

 

I am a 童貞.

 卒業していたと思っていたら、意外としていないものです。

精神的な童貞(もしくは、メンタル童貞)は、意外とまだ卒業できていない。 

 

 一般的に認識されている、身体的な童貞(もしくは、フィジカル童貞)。人生のある時点まで、体育会系の元気ハツラツオロナミンC!テストステロン!だった自分はとりあえずこういった意味では、運良く卒業させて頂いたのかもしれない。しかし、ある時点で運動関係から距離を置き、帰宅部に所属するようになった。

 

そしたら何が起こったか。

 

時間が沢山余ったので、本を読むようになった。無駄に読みまくるようになった。軽く本の虫っぽくなった。

 

 

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(ちょっと前に話題になった画像)

 

 こういった過程で、コンプレックス、批判グセ、現実逃避、等々の特性(童貞の特徴6つ)を大いに自分の中に育てていった。純粋だった元気ハツラツな自分を、社会の残酷さ、歪み、ヒエラルキー、その世界に生きる自分、みたいなものをどんどんインプットした頭でっかちな自分が覆い尽くしていった。(本を読むことが悪だといっているわけではない(笑)し、本を読まなくてもほとんどの人が闇を目撃することくらいはあるはずだと勝手に思っているけど、自分には画像のような傾向が顕著に表れた。)

 

 自分を相対的な個として見出してみること、批判的に考えること、想像の世界に時々避難すること、自体は全く悪くない。悪くはないんだけど、こういったものがもたらす「副作用」に、しばらくの間、あまりにも無自覚だった。これはここ数年で明確になってきた反省事項の一つでもある。自覚すること。それを踏まえた上で、今後も好奇心に従って世の中のことをもっと知っていきたい。

そして、、、

 

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(一方でこのような画像も出回っていた。)

 

 ○○な現実を受け入れた上で、ポップに生きたい。ってぼやっと言っていたけれど、まさにここが本当にたどり着くべき境地な気がする。色々な歪み、現実、全部受け止めた上で、美しさを真っすぐに見出したい。ここに達することこそが、メンタル童貞をこじらせてしまった自分に課されている課題なんだと思う。もっと、美しいものを素直に真っすぐ抱きしめられるような大人に成長していきたい、と思うのであった。